物事を少し違う視点で見てみる


こんにちは。Bridge for Children, KGUの横山菜乃です。春から4年生、コラムを綴るのも三度目になり、時の流れを感じています。

近年は、世の中のあらゆる事象に対して、簡単に情報が入って、簡単に意見を言えるような世界です。ではみなさん、あなたが手に入れたその情報を簡単に信じて、深く考えず簡単に意見した経験はありますか?

とっても簡単に、例えば、AさんがBさんからお金を奪ったとしましょう。この事実だけを見るとAさんは悪です。でも実は、Aさんは違う人に脅されて、嫌々お金を奪ったとしたら?その事実が明るみに出ていなかったら?

1つの事実の裏には、幾つものストーリーがあります。そのストーリーを完璧に知るのは当事者だけです。ストーリーを知らずとして、何が善であるか悪であるかを言い切ることは難しい。ストーリーを全部知る当事者すらも何が正しいのかわからないかもしれない。

先日、アジア映画初のアカデミー賞を取得し、歴史を塗り替えた映画「パラサイト 半地下の家族」を見てきました。韓国の現代社会や人間の心理を、コメディに、ホラーに、シリアスに、そして緻密に描いた作品でした。見終わると、ずっしりとのしかかりました。

パラサイトの監督である、ポン・ジュノ監督のトークライブでこんなことをおっしゃっていたらしいです。(ソースが曖昧です、すみません、、、)

明らかな悪党も天使もいない映画で、みんな適度に悪く、適度に善良で、適度に卑怯で、適度に正直な人々がもつれて破局に至ります。私たちがニュースを見るとき、結果だけ見ます。それは誕生日パーティの芝生の上で起きた結果だけです。でも、そこには私たちが簡単に察知できない長い脈絡があるんです。映画はそんな結果に達した微妙な段階を2時間にわたって追っていけるーそれが映画の力ではないかと思う。

誕生日パーティの芝生の上で起きた結果というのは、映画の最後の方のシーンで起きたとある事件です。事件なので、加害者も被害者もいます。
ですが、映画を最初から見ると、果たして加害者は加害者として裁かれるべきなのか、被害者は被害者として憐れまれるべきなのか、と思う人もいるはずです。それは映画を最初から最後まで見た私たちだからこそ言えますし、映画を全て見たとしても意見は様々だと思います。ストーリーを全部知る人ですら答えはわからない。

世の中はそんなことでしか溢れていないと思います。ひとりひとり、ひとつひとつ、ストーリーがあって、ストーリーの全貌を知る人でも意見するのが難しいのに、そのストーリーを知らずに、いとも簡単に評価してしまい、いとも簡単に何かを傷つけてしまうこともある。

少しだけ、今話題になっているコロナウイルスや女性や人種の差別、政治のトピック、そして身の回りのトピックについて、自分が何を信じ、どんな考えを持ち、どんな発言をしているか振り返ってみてください。いつもより少し深く見つめるだけで、いつもより少し違う視点から見るだけで、何かが違って見えるのではないでしょうか?