今回コラムを担当させていただく、Bridge for Children, KGU 2回生の坂本葵です。
今回は、二つのことを通して考えた、幸せとは、ということについて書かせていただきます。
私は最近「博士の愛した数式」(2003, 小川洋子)という本を読みました。記憶が80分しか持たない数学者の「博士」とその家政婦になった「私」、その息子「ルート(博士がつけたあだ名)」の話です。小説の最後には解説が載っていますが、その解説の中にとても印象に残る一文がありました。
「記憶をなくし、身の回りのことも自らできない、哀れとも形容できる老博士が、実はとても幸せだった」(2005, 藤原正彦)という一文です。
私も読んでいて同じように、博士はとても幸せなのではないかと感じました。たとえ、記憶が短い間しか持たなくても、ボロボロの服を着ていても、傍から見れば哀れに見えても、家政婦とルートと良い関係を築きながら優しさを惜しみなく分け合う生活は、とてもあたたかいものだと感じたからです。
この感想を持ったとき、同じような感覚を感じたことがある、と思い出しました。
それは、発展途上国の国にボランティア活動に行った友達が「みんな幸せそうだった」と話していたことでした。
「えぇ、でも状況は日本より大変でしょう」と言うと、「うん、でも笑顔が多い気がした」と彼女は言っていました。
確かに、WIN/GIAの幸福度調査(国連の出す幸福度とは別の指標)を見ると、私たちの支援するフィリピンは、2016年は2位、2017年は3位、2018年は3位と、日本より高い順位であり続けています。
貧困のなかにいても、ある指標で測れば、日本に住む人よりフィリピンの人の方が幸せなのです。
私たちBridge for Children, KGUはフィリピンの子どもたちに笑顔になってもらいたい、幸せになってもらいたい、という信念で活動しています。
支援を行うことを考えていると、「大変で幸せを感じられていないのではないか、幸せにしてあげたい」という思いが先走ってしまうことがあります。
しかし、私たちの価値観で幸せを決め、支援を受ける側に「幸せを感じていないであろう」というレッテルをこちらが貼ってしまうのは大きな間違いです。本当に必要な支援を見極められるように、改めて「幸せとは」と自分自身に問いかけてみたいと思いました。
そして、相手が求めることに私たちのベストを尽くすことで、お互いが幸せだと感じる瞬間が増えたら良いと願っています。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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