「当たり前に疑問を持つこと」

 

こんにちは、今回コラムを綴らせて頂くBridge for Children, KGU 1回生の木村美憂です。

さて、今回は「当たり前に疑問を持つこと」について私の経験を元にお話しさせて頂こうと思います。

 

私が通っていた中学校、高校は共に校則がとても厳しい学校でした。髪の毛の色や質を変えること、化粧やピアス、スカートの丈や靴下の色・形、髪型などが規制されていて、高校には一時期問題にもなった地毛登録というシステムもありました。
高校に進学して間もない頃、ある友人が
「黒髪ストレートでなければいけない理由を教えて欲しい」
と生活指導の先生達に職員室で聞いていました。
先生達は「そういう決まりだから、世間の目が…」などあやふやな理由を答えていましたが「生まれつき髪の色や肌の色が違う色んな人がいる世の中で、学校がそんな理由で一つの形に統一させるなんておかしい」と友人は言っていました。

 

先生達は面倒臭そうな顔をしていましたが、私はそれを聞いてすごくハッとしました。
校則だから先生が言うから、と従っていたけど一体なぜ禁止されているのだろうと私はその時初めて考えさせられました。
インターネットで調べてみると、社会に出た時のためという意見がありました。しかし社会に出るために必要な就職活動などで、みんなが黒髪に染め女性は髪を結び、同じ色のスーツを着なければならないこともそもそも変ではないでしょうか。
私は、こういったルールがあるのは日本人が同一性を好むことが一つの理由であると考えています。

 

最近は理解も広まってきていますが、例えば日本で少数派である同性愛に対して偏見を持たない人や「男性は働いて女性は家事」という観念に疑問を持つ人はひと昔には少なかったと思います。
今ではそれは正しくないと思う人が多くても、昔はそれが当たり前で、誰かが違うと発信したことで違うと認識する人が増え始めました。そういった「当たり前ではない当たり前」が、まだまだ残っている気がします。
先生が言うから、学校が言うから、みんなが言っているから、思っているから
そう言って私たちが当たり前を作り出し、おかしな事に疑問を持たずに過ごすことはとても危険ではないでしょうか。

 

多様性が強調される今の時代で、一人一人が自分の意思を持つこと。そして型にはめたものでなく、そういった様々な考えや思考を生み出し尊重することが出来る世の中になれば良いなと思います。

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました。