「日本人が宗教に熱心!?―海外から見た日本の宗教―」

BFCのコラムに目をとめていただきありがとうございます。今回BFCのコラムを担当させていただきます2回生内田萌花です。今回は、日本人の宗教観について皆様と一緒に考えていくことができればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 想像してみてください。皆様が外国のご友人や知人から、「一日にどのくらいの時間宗教に関わる活動をしていますか?一か月、一年ではどうですか?」という質問や、あるいは、「今週神様に感謝した出来事は何ですか?」と聞かれたとき、皆様はなんと答えるでしょうか。これは私が実際に海外留学中にキリスト教徒の友人から尋ねられた質問です。私は最初、回答に困ってしまいました。今週神様に感謝した経験など身に覚えがなかったからです。すると、私の隣に座っていたイスラム教徒の友人が即座に、それはもう饒舌に語り始めました。 私からしてみれば、一緒にいたキリスト教徒の友人やイスラム教徒の友人は、実に宗教に熱心でした。蛍光ペンで線が引かれ、付箋がいたるところについている、使い込んだ聖書を常に持ち歩いている友人、教えに則った食事をし、パーティーの場でも飲酒はしない友人、ヒジャブを頭に巻き、男性の前では決して踊ったり、SNSに写真を投稿したりしない友人。私は、彼らは宗教に実に熱心なのだと思っていました。そんなことを考えていると、その場にいた一人の友人が信じられないことを言いました。「日本人は、宗教に熱心だよね。」私は耳を疑いました。私は、日本人を宗教熱心だとは一度も思ったことがなかったからです。

 

 さて、最初の「一日にどのくらいの時間宗教に関わる活動をしていますか?一か月、一年ではどうですか?」という質問や、あるいは、「今週神様に感謝した出来事は何ですか?」という質問に対して、皆様はどうお答えになるでしょうか。「毎日お祈りをしている」、「一年に何度かは宗教に対して考えている」、あるいは「考えたこともない」など答えは様々だと思います。しかし、テレビやニュースで見る限り日本人は一般的に宗教に無関心といわれており、宗教に対しては柔軟性があるという意見が多いように思います。仏教徒とはいえど、毎日決まった時間に礼拝するわけでもなく、食事に制限もなく、着るものも出かける場所も自由であると。

 

 では本当に日本人は宗教に無関心、あるいは無宗教徒なのでしょうか。また、他宗教の人々は本当に宗教に熱心なのでしょうか。

 私は宗教とは文化であり、慣習であると考えています。決してキリスト教徒の友人やイスラム教徒の友人が宗教に熱心であり、日本人は無宗教徒ではないのです。キリスト教徒にとってもイスラム教徒にとっても、食事、服装などは全て宗教の教えに順じて行っていることではなく、父親がしていたから、母親から教わったから、周りの大人がそうしていたから自然と自分もそうしているだけなのです。

 

日本人はどうでしょうか。大晦日には年越しそばを食べ、正月には初詣に行き、お参りをして、おせちを食べます。お守りを買い、おみくじを引いて今年の運勢について家族や友人と話すでしょう。七五三や成人式には着物を着てお祝いします。お盆、お墓参り、お彼岸、節分、お祭、一年間を通して多くの宗教的行事を行うのです。受験の時には神社へ行き合格祈願のお祈りをしたりしませんでしたか?おめでたいことがあったときお赤飯を食べたりはしませんか?皆様はこれらの行事を仏教にのっとって、宗教的意義を感じながら行っているでしょうか?皆さんが神様に受験の合格祈願をしている様子は、他宗教徒の人々が神様に健康や幸せをお祈りをしているのと何が異なるのでしょうか?もしかすると他宗教徒の人々から見たら神様に合格祈願をしている様子は奇妙なものかもしれません。皆さんも、他宗教徒の人々が、怪我や病気を神様が治してくださったと涙ながらに喜んでいる光景は受け入れがたいものなのではありませんか?しかし、何度も言うように、宗教は文化であり、慣習であるのです。

 

 私たちは、信じるモノは違っても、先祖を大切にし、家族の健康を願い、家族が大切にしてきているモノを同じように大切にするのです。日本人も十分宗教に熱心であるのです。私は日本人も十分に宗教に触れているということを海外留学を通して理解することができたと思います。皆様もこのコラムを通してご自身の宗教観についてもう一度考えていただけると幸いです。

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。次回のBFCのコラムもよろしくお願いいたします。