"違い"を受け入れないこと

2度目のコラムを綴らせていただきます。Bridge for Children, KGU3年の横山菜乃です。

小さい時からなんとなく世界平和に興味を持っていた私は最近、どうして人は戦争を起こすのだろう?という答えに、”自分との違いを認めることができないから”と考えました。
民族紛争、宗教戦争、人種差別、ジェンダー差別、偏見、、、世界にはまだまだたくさん自分との違いが認められないことによる争いがたくさんあります。
しかし実は私はそんな人たちが理解できませんでした。自分と違うから攻めるって必要?自分が嫌なひとは関わらなければいいんじゃない?傷つける必要はある?どうしてが止まりません。きっとそれは自分がインターナショナルスクールで育ち、また他人との違いを気にしないことへ理解がある親に育てられ、とてもいい環境の中で育ったのだと思います。

だからこそ世界平和をつくる手伝いがしたい私は、新しい世界へ飛び込むことへ決めました。今まで自分が育ってきた環境とは全く違う環境で、自分とは違う歴史や文化を持つ人の中へ飛び込んで、違いを経験してみよう。そう思い、大学のプログラムを使用して東南アジアの途上国へ5ヶ月間滞在しました。

実際に滞在してからはたくさんの違いに驚く日々でした。言語も民族も食事も考え方も振る舞いも全然違う。毎日が新しくて、違いがおもしろい時もあれば、腹の立つ時も、嫌な顔してしまう時もある。なんなら見下してしまうときもある。そんな瞬間に、ああこれがもくもくと大きくなってやがては争いにつながってしまうのだ、と気付きました。

この5ヶ月を通じて感じました。ひとは全てを受け入れることはできないということ。どうしても自分と違うひとに対して抵抗を感じてしまうときもあると思います。理解がし得ないこともあると思います。例えば私ならば、ご飯を残す人への理解がどうしてもできません。日本で育ってきた自分は、お米一粒に感謝をして残さず食べなければいけないという文化で育ってきました。一方では食べ物を残すことが十分食べました、ありがとうございました、と感謝を表すという文化もあります。それぞれの文化があり、否定できませんが受け入れることはできません。そんな場面が世界にはたくさんあるのだと思います。

だからこそ、そこでとる行動が大きく変わるのではないかと思います。大きな声で違いを罵倒するのではなく、文化を傷つけるのではなく、お互い違いがあるということを認識して関わること、それが無理であれば関わらないこと。

信じるものに正しいか正しくないかはありません。誰だって信じるものは違います。ひとつひとつが美しくもあり、存在する理由がある限り、私たちには互いに攻めたり傷つけることはできないと思います。

これは私の価値観です。けれどこの考えを持つようにしてから、安易に非難をしなくなりました。

どうかひとりひとりが思いやりを持って考えて行動できて、そんな人がたくさん増えますように。
そして私はそんな世界を築くお手伝いができるようにこれからもいろいろな活動を通して頑張りたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。あなたの小さな勇気にどうか響きますように。